散歩の帰り道、踏み出した足の先にカマキリがいました。
秋が深まりつつあるこの季節に、まだカマキリを見かけるとは思いませんでした。
サイズは大きめですが、季節外れに見るせいか、老いさらばえた風情を感じました。
そこで、これは写真に撮っておくべきだと思い、デジタルカメラをポケットから取り出して電源を入れたのですが、
「電池残量がありません」という表示が出ました。
そういえば、ここのところ充電をしていませんでした。
せっかくのシャッターチャンスを逃してしまい残念です。
2009年10月24日土曜日
2009年10月23日金曜日
エコブームについて 2
前回のブログでも書いたように、ここの自治体ではエコへの取り組みとして、住民が当番制で、朝早く(朝6時)から指定の場所でプラスチック類の回収と分別を行なっています。
私も何回か参加して回収・分別作業を行いましたが、プラスチック類を持ってくる人の中には、分別を間違えて持ってくる人もよくいます。
しかし、それも仕方ないと思います。分別の仕方があまりに細かすぎて判りにくいからです。
私でも、リンゴを包んでいる網目状の発砲スチロールが可燃ゴミだとは知りませんでした。
私はそれまで発砲スチロールはプラスチック類だと思っていました。
このように、ゴミの分別は判りにくいので、正しく分別できている人は少ないのは当然だと思います。
ましてやお年寄りに分別を間違えるなと言う方が酷というものです。
前回の回収・分別に立会人として参加した時も、ある老婦人が、プラスチック類を入れる袋に間違えて空缶を混ぜて持って来たことがありました。
それを見て、立会人の中年男性が強い口調で注意していました。そして、その老婦人が帰ってゆく時、その男性は聞えよがしに他の人たちに「あのばあさんはいつも間違えて持ってくるからな」と、まるで国賊か非国民みたいな言い方をしていました。
しかし、そもそもそういうことまでお年寄りに求めることが無理なことなのです。
今はグループホームに入っている私の伯父もまだ元気だった頃、「ゴミの分別は判りにくいから、全部燃えるゴミの袋に入れて出している」と言っていたものです。
「エコは地球に優しい」というアピールが大々的に行なわれていますが、「エコは老人には優しくない」と言えるでしょう。
私も何回か参加して回収・分別作業を行いましたが、プラスチック類を持ってくる人の中には、分別を間違えて持ってくる人もよくいます。
しかし、それも仕方ないと思います。分別の仕方があまりに細かすぎて判りにくいからです。
私でも、リンゴを包んでいる網目状の発砲スチロールが可燃ゴミだとは知りませんでした。
私はそれまで発砲スチロールはプラスチック類だと思っていました。
このように、ゴミの分別は判りにくいので、正しく分別できている人は少ないのは当然だと思います。
ましてやお年寄りに分別を間違えるなと言う方が酷というものです。
前回の回収・分別に立会人として参加した時も、ある老婦人が、プラスチック類を入れる袋に間違えて空缶を混ぜて持って来たことがありました。
それを見て、立会人の中年男性が強い口調で注意していました。そして、その老婦人が帰ってゆく時、その男性は聞えよがしに他の人たちに「あのばあさんはいつも間違えて持ってくるからな」と、まるで国賊か非国民みたいな言い方をしていました。
しかし、そもそもそういうことまでお年寄りに求めることが無理なことなのです。
今はグループホームに入っている私の伯父もまだ元気だった頃、「ゴミの分別は判りにくいから、全部燃えるゴミの袋に入れて出している」と言っていたものです。
「エコは地球に優しい」というアピールが大々的に行なわれていますが、「エコは老人には優しくない」と言えるでしょう。
2009年10月22日木曜日
エコブームについて
近年世界的にエコブームが盛んになっていて、国でも地域でもエコへの取り組みが熱心に行なわれています。
確かに地球に優しい方法なのだと思いますが、ただ、このエコブームに懐疑的な意見もあるようです。
テレビに時々出てくる大学教授はエコブームの無駄を主張しているようです。
その話を聞くと、今私たちが行なっている、ゴミの分別も無駄になるのだとか。
この地域の自治体でも住民が当番制で朝早く起きて、プラスチック製品の回収と分別を行なっていますが、こういった努力も無駄だということになるようです。
私としてはどちらが正しいとは決めかねますが、ただ、「エコ、エコ」という掛け声によって、
面倒な分別作業を、そういった細かい作業が苦手なお年寄りにまで押しつけている今の自治体のあり方には疑問を感じています。
確かに地球に優しい方法なのだと思いますが、ただ、このエコブームに懐疑的な意見もあるようです。
テレビに時々出てくる大学教授はエコブームの無駄を主張しているようです。
その話を聞くと、今私たちが行なっている、ゴミの分別も無駄になるのだとか。
この地域の自治体でも住民が当番制で朝早く起きて、プラスチック製品の回収と分別を行なっていますが、こういった努力も無駄だということになるようです。
私としてはどちらが正しいとは決めかねますが、ただ、「エコ、エコ」という掛け声によって、
面倒な分別作業を、そういった細かい作業が苦手なお年寄りにまで押しつけている今の自治体のあり方には疑問を感じています。
2009年10月21日水曜日
初めてのデジカメ写真投稿
秋らしくなってきました
10月に入ってもまだ日中は暑い日が続いていましたが、
やっと秋らしく感じるようになりました。
朝晩は確かに涼しく、油断すると冷え込むこともあるので、
あまり薄着もできません。
この時期は衣類や布団類はどれを使うか迷う時期でもあります。
まだ虫たちもしぶとく生き残っているらしく、
ベランダに干した布団にハナムグリ(コガネムシの一種です)が付いていたりします。
やっと秋らしく感じるようになりました。
朝晩は確かに涼しく、油断すると冷え込むこともあるので、
あまり薄着もできません。
この時期は衣類や布団類はどれを使うか迷う時期でもあります。
まだ虫たちもしぶとく生き残っているらしく、
ベランダに干した布団にハナムグリ(コガネムシの一種です)が付いていたりします。
2009年10月19日月曜日
猛犬の正体は……
少し離れたところにある公立図書館を時々利用する時があります。
その図書館に行く途中の道沿いに大きな家があるのですが、その家の前を通る度に、玄関の内から獰猛そうな犬の吠える声が聞こえていました。行きも帰りも、私がその家の前を歩いていると、必ず吠えてくるのです。
吠える声から判断すると、秋田犬やドーベルマンなどの大型犬のようです。
ただし、いつも声だけで、犬の姿を見かけたことはありません。
犬の姿が見えなくても、犬嫌いの私にとっては、吠える声だけで身が縮む思いでその玄関前を通っていたものです。
それが苦痛でもあったのですが、
近頃、その犬の正体が判ったのです。
私の知人がそこの家の方と親しくしていて、そこのお宅の様子をよく知っていたのです。
知人によると、その犬の声は本物の犬ではなく、電気で作動する空巣撃退器だということでした。
人が玄関前まで来ると、玄関内側に設置した機械のセンサーが反応して犬の吠える声が鳴るのだそうです。以前に通販のカタログで見たことがあります。
それで、いつも玄関前を通る度に吠えられていたのです。
それでも、正体が本物の犬ではないと判っても、あの吠える声は苦手です。
その図書館に行く途中の道沿いに大きな家があるのですが、その家の前を通る度に、玄関の内から獰猛そうな犬の吠える声が聞こえていました。行きも帰りも、私がその家の前を歩いていると、必ず吠えてくるのです。
吠える声から判断すると、秋田犬やドーベルマンなどの大型犬のようです。
ただし、いつも声だけで、犬の姿を見かけたことはありません。
犬の姿が見えなくても、犬嫌いの私にとっては、吠える声だけで身が縮む思いでその玄関前を通っていたものです。
それが苦痛でもあったのですが、
近頃、その犬の正体が判ったのです。
私の知人がそこの家の方と親しくしていて、そこのお宅の様子をよく知っていたのです。
知人によると、その犬の声は本物の犬ではなく、電気で作動する空巣撃退器だということでした。
人が玄関前まで来ると、玄関内側に設置した機械のセンサーが反応して犬の吠える声が鳴るのだそうです。以前に通販のカタログで見たことがあります。
それで、いつも玄関前を通る度に吠えられていたのです。
それでも、正体が本物の犬ではないと判っても、あの吠える声は苦手です。
2009年10月13日火曜日
人生の針路に思う
自分にはどんな才能があるのか、
どのような方面に向いているのか、
などということは、なかなか判りづらいものです。
私などは、若い頃は作家を夢見て、夜中の2時、3時まで小説の原稿を書いては、
文学の新人賞に応募していたことがありましたが、
その頃は、自分には作家としての才能がある、などと無謀な夢想を持っていました。
そういう時期を経て、今では、自分には文才がないということに気付きましたが、
結果的に無駄骨を折ることであっても、自分にはどんな可能性があるのかということを努力して追求することも必要だとは思います。
自分には結局文才がないということに気付いたことも1つの結果だと思っています。
誰かが言っていたように、人生は実験だと言えるでしょう。
実験だから、やってみないと判らないという面はあります。
年取ってからはあまり無謀な実験もできませんが、そこは、若い頃の人生での実験を役立てるべきでしょう。
やはり人生は、経験を積み重ねてゆかないと自分の針路が判らないものです。
どのような方面に向いているのか、
などということは、なかなか判りづらいものです。
私などは、若い頃は作家を夢見て、夜中の2時、3時まで小説の原稿を書いては、
文学の新人賞に応募していたことがありましたが、
その頃は、自分には作家としての才能がある、などと無謀な夢想を持っていました。
そういう時期を経て、今では、自分には文才がないということに気付きましたが、
結果的に無駄骨を折ることであっても、自分にはどんな可能性があるのかということを努力して追求することも必要だとは思います。
自分には結局文才がないということに気付いたことも1つの結果だと思っています。
誰かが言っていたように、人生は実験だと言えるでしょう。
実験だから、やってみないと判らないという面はあります。
年取ってからはあまり無謀な実験もできませんが、そこは、若い頃の人生での実験を役立てるべきでしょう。
やはり人生は、経験を積み重ねてゆかないと自分の針路が判らないものです。
2009年10月12日月曜日
2009年10月11日日曜日
2009年10月9日金曜日
スーパーの模様替えに戸惑う
時々買い物に行くスーパーの本店内が模様替えされていました。
いつも買う商品がいつもの棚にないので、
どこにあるのか探すのに手間取ってしまい、戸惑いました。
このスーパーはこの2年ほどの間に何回か模様替えをしています。
商品の並べ方や商品棚の配置の仕方を試行錯誤しているようです。
私としては、初めの頃の配置で良かったと思うのですが。
この地域では大きなスーパーといえば、この店しかないのですが、
車で他地域のもっと大きなスーパーに行く人が増えており、
この店も赤字なのだとか。
しかし、この店が閉店してしまうと、特にお年寄りの場合は困る人が多いだろうと思います。
何とか頑張って存続してもらいたいと思ってます。
そのために、私もこの店で極力買い物をするようにしています。
いつも買う商品がいつもの棚にないので、
どこにあるのか探すのに手間取ってしまい、戸惑いました。
このスーパーはこの2年ほどの間に何回か模様替えをしています。
商品の並べ方や商品棚の配置の仕方を試行錯誤しているようです。
私としては、初めの頃の配置で良かったと思うのですが。
この地域では大きなスーパーといえば、この店しかないのですが、
車で他地域のもっと大きなスーパーに行く人が増えており、
この店も赤字なのだとか。
しかし、この店が閉店してしまうと、特にお年寄りの場合は困る人が多いだろうと思います。
何とか頑張って存続してもらいたいと思ってます。
そのために、私もこの店で極力買い物をするようにしています。
2009年10月8日木曜日
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